フィリピン駐在員レポート 〜コロナ禍による突然のマニラ首都圏封鎖〜

今回のコロナ禍によってフィリピンでは2020年3月15日からマニラ首都圏の封鎖、いわゆるロックダウンが発令されました。海外の様子は連日放送されるニュースなどで皆様もご存知かと思いますが、フィリピンに駐在する私が実際に体験した様子を、ここに一つの記録として記させていただきます。(経営企画部 穐近 晃)

3月6日:新型コロナウイルス、フィリピン国内の症例が5件と報じられました。

3月12日:突然大統領より『3月15日から1ヶ月間、マニラ首都圏の封鎖と夜間外出禁止令』が発令されました。この時点で感染者数は50名弱。封鎖することにより感染拡大を防ぐということです。驚きはありましたが、正直「大変だけれど、1ヶ月後には終息しているだろう」と少し楽観視していました。

3月15日:感染者が140名に増加しました。

3月16日:封鎖・夜間外出禁止令が『マニラ首都圏』から『ルソン島全域』に拡大。多くの店舗が閉鎖されましたが、スーパーやコンビニは空いており、一部飲食店でのデリバリーもOKでした。しかし公共交通機関がストップしたため、就業者の多くは自宅待機となりました。そしてパートナー会社のATISCOより『明日3月17日から封鎖解除まで、ATISCOを含む矢崎トレス工業会社全体を休業する』との連絡あり。同時に私も自宅待機を余儀なくされ、さすがにじわじわと不安が募ってきました。

普段は交通量が非常に多く、たくさんの人で賑わう街中が閑散と。

エレベーターは5人まで。乗る場所も指定されています。

3月17日:政府が『マニラ及びルソン島全域の空港から72時間以内の外国人の出国』を要請。これは翌日には撤回されましたが、帰国希望者が空港に押し寄せ、空港がパニック状態になっていた模様です。私も帰国を考えましたが、入ってくる情報がバラバラで真偽が掴めず、また大混雑している空港に移動するのもリスクがあると判断して、暫く様子を見ることにしました。

3月20日:政府が『全ての外国人の入国を禁止する方針』を表明しました。

3月22日:社宅近くのコンビニが閉鎖に。またスーパーも店内に入る人数を制限し始め、やむなく店舗外にできた長蛇の列に並びました。

コンビニもカフェもいよいよ閉店。

スーパーへの行列は長時間のため椅子が用意されている。行列は外にも続いています。

もはや都会の中心地とはとても思えない。

3月23日:就業場所の出入禁止、買い物も含めて外出は1家族から1名、都市間移動原則禁止(必要不可欠な理由があれば良い)など、規制が一段と厳しくなりました。

3月24日:感染者は500名を超え、いよいよ私にも本社から日本への帰国指示が出ました。山口県の実家へ戻るため3月27日の関空便を予約しようとしましたが、急遽フィリピン航空が3月26日以降の全便をキャンセルしたため、その時に唯一飛んでいたJALの成田便を予約。東京経由で帰ることになりました。

3月25日:息子のビザ更新のため、検問2ヵ所を通過して、入国管理局へ。局内は、数名の職員、守衛、私たち3名のみで、閑散としていました。

3月26日:日本政府が『3月28日よりフィリピンからの帰国者検疫の強化(検疫所長の指定する場所で14日間待機、公共交通機関の未使用)』を発表。私たちはすでに27日の帰国を手配していたため、これは免れました。

3月27日:公共交通機関ストップのため、空港へはレンタカーを利用。念のため早めに出発し、出国の4時間前には着いていました。そしてフライト1時間前、チェックインしようとカウンターへ行くと「5時間遅延および到着空港変更(成田→羽田)」を知らせる張り紙が…。しかし、何はともあれ無事日本に着き安堵しました。

ほとんどの便が欠航のため、ガラガラの空港内。

4月10日:帰国後は14日間、出社せず実家で健康状態を観察。世界の感染者数は150万人以上に増えました。

5月31日:この原稿を書いている2020年5月31日の時点で、フィリピンでは患者数18,086人、回復者数3,909人、死亡者数957人。マニラ首都圏などで実施していた厳格な外出・移動制限措置は6月1日から緩和し、大半の企業活動を認めるほか、公共交通機関の運行も制限付きで再開します。

ただ、最近患者数が再び急増しているようで、また厳格なロックダウンに戻る可能性もあります。私も日本での在宅勤務が続いており、フィリピンへ戻る目処が立っていません。この世界中に広がっているコロナ禍が1日も早く、完全に終息することを切に願います。